読み始めて20ページほどで、この作品が傑作で、桐野夏生の代表作の一つだとわかった。前回彼女の作品(『ナニカアル』)を初めて読んで、まるでノンフィクションのような彼女の作風に驚いたとともに、あまりに林芙美子を軽々しい女性として描いていることに対して反感を持った。そして、読後の感想のまとめとして駄作とまで言い切った。しかし、今回は素晴らしいと何度も唸らされた。彼女の描くQ女子高(慶応女子高)の内部進学者と中等部・女子高から入学してきた外部生たちの間にある序列、虐め等々は、とてもフィクションとは思えないぐらい具体的であった。話中、東電OL事件被害者の役割である佐藤和恵の家庭の様子(特に吝嗇な父親)が描かれていたが、なぜ彼女が拒食症になったり立ちんぼ(道端で声をかける売春婦)になってしまったか、その根本的な原因となる家庭環境を説得力を持って復元していた。
それにしても女の世界は怖い。美人か否か、家柄が良いか、ファッションが洗練されているかどうか、勉強ができるかどうか等の軸で序列が作られ、多くの女性達がこの序列体系に忠実に従って生きている。変人として超越できれば、この小説の主人公である平田姉のように生き残れるが、その序列が読めない佐藤和恵は正論で正面から序列に挑み、見事に打ち負かされ、そして、どんどんと傷ついていった。
私にも似たようなところがあり、組織の序列を見抜けなかったり、たとえ見抜けても従わなかったりして、苦労をした。しかし、男社会ばかりで生きてきたので、虐めとかは女社会のそれに比べれば、全く怖くなかった(例えば、露骨な無視などはない)。更に私は転職を何度もしたし、同じ会社でも自ら志願して別部署に異動をしたので、組織の序列の束縛から比較的うまく逃れていたように思う。ところが、佐藤和恵のように、学力とか父と同じ会社で出世するという絶対的価値観から自己解放できない場合、ああやって壊れていくのかもしれない。
それにしても桐野夏生はユーモアセンスが非常に高い。上記のように怖くて深刻な問題を扱った小説ではあったが、何度も大いに笑わせてもらったことを付記しておきたい。
