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Archive for 2010年5月

Stephen Kingの自伝兼小説作法の著作”On Writng”に、The Dead Zoneとともに彼が頻繁に例示していたのが、このMisery。前者に対してはミステリーだけでなく文学作品としても非常に質が高いという読後感をもったが、本作品については、Stephen King本流の、残酷て、Non native English Speakerには読解が難しい、細かい動作の記述が多いミステリー作品であると思った。ストーリーは以下の通り。人気作家のPaul Shldonがコロラドのホテルで新作を脱稿し、その達成感で高揚した気分のまま猛吹雪の中、車で西に向かった。ところが途中運転を誤り大事故にあい意識不明になったところを、彼の大ファンである元看護士のAnnie Wilkesに救出され、彼女の家に収容された。ところが、このAnnieは極度の躁鬱病で実は過去に数十人の命を奪った殺人鬼で、両足骨折の重傷で動けないPaulはゲストルームに監禁されてしまう。Annieは自称Paulの#1ファンで全作品を少なくとも二度読んでいる。彼女は、特にMiseryという女性主人公が出てくるイングランドを舞台にした恋愛物語シリーズが大好きで、最新作でMiserygが死んだことに憤りを感じ、Paulに対してAnnieだけのために、Miseryが復活する新作を書くように命じる。そして監禁状態の中、骨折の痛みとAnnieから与えられた骨董品のようなタイプライター(しかも頻繁に使われるアルファベットのnのキーが無い)と格闘しながら、Miseryの新作品の創作を始めた。Annieは大柄で逞しく、かつ狡猾。両足が使えないPaulでは絶対に倒せない相手。それでも彼は智慧を振り絞り部屋の内鍵をヘアピンでこじ開け、リビングまで車椅子で移動し、電話をかけようとするが、電話はつながっていなかった。また、ストックルームに行って鎮痛剤や食料まで少しずつくすねてきた。ところがAnnieはこのことはお見通しだった。Paulは致命的なミスを犯す。チャンスがあればAnnieを刺し殺そうとキッチンから大きな包丁を持ち去ったのであるが、このことがAnnieの怒りに火をつけ、なんと彼女は、罰としてPaulの左膝下と左親指を切断してしまった。この後Paulは脱出を諦め作品の執筆に集中する。タイプライターの方はガタが来て、nだけでなく、その他のキーも使えなくなってきたが、作品の方は素晴らしい出来栄になってきた。そんなある日、Paulの写真を持った若い警官が単独でAnnieの家までやってきた。Paulはタイプライターを窓に投げつけるなどして必死で警官に助けを求めようとしたが、警官はAnnieに不意を襲われ、殴り殺されてしまった。さすがに警官まで殺したため、Annieは他の警官からの訪問を何度か受け、いよいよ家宅捜索をマジかの様相となった。Paulの方はMiseryを完成させ、それをAnnienに披露することになった。記念のシャンパンを持ってPaulの部屋に入ってきたAnnieに対してPaulは決死の攻撃を仕掛け、ついにPaulは不敵の殺人鬼Annieを殺した。

登場人物はPaulとAnnieの二人、しかも、その大半は狭い部屋に閉じ込められたPaulの心の格闘を描いた作品で、また不自由な体をなんとか動かす部分の英語の記述が私には難解で、前半はほんとうにつまらなかった。しかし、後半はAnnieに命じられて書き始めたMiseryシリーズの新作の草稿が何章も登場したり、Annieの狂気が増幅した恐怖の場面があったりで、まるで自分がPaulになったような気分で背筋に寒気を感じながら読み進むことが出来た。また、この作品がStephen Kingのホラー、ミステリー作品の本流にあることも良く分かったが、それでも、より文学性の高い”The Dead Zone”の方が数倍良いと思った。本作品は完全な娯楽作品で、「あー怖かった」、「Paulが助かって良かった」という感想が残って終わりである。それ以上に、何も残らない。しかし、それがStepen Kingが読者に意図した価値なのであろう。
Misery
Misery

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1930年代から1970年代後半にかけて活躍した英国人作家Graham Greeneの晩年のスパイ小説”The Human Factor”を読了した。Greeneの作品を読むのは、今回が初めてだった。Stephen Kingの”On Writing”で推薦図書としてGreenの著書が二冊巻末にリストアップされており(”Our Man in Havana”と”A Gun For Sale”)、更に本文中でも会話の名手の一人として、この名前が出てきた。それでGreeneの作品を読むことに決めた。”The Human Factor”は、amazon.co.jpでユーザーレビューの評価が高く、在庫があったので選んだ。時代は冷戦時代(おそらく1960年から1970年のどこか)、主人公はイギリスの諜報機関の南西アフリカ局に勤めるMaurice Castle、年齢は50代後半で、ロンドン郊外に再婚した妻と妻の連れ子、そして愛犬で仲むつまじく暮らしている。Castle(職場でこのように呼ばれている)は以前南アフリカで諜報活動をしていたことがあり、妻は現地で連絡係として使っていた黒人の一人。アパルトヘイト下で黒人差別、弾圧の強い中、共産党系のスパイの力を借りて、彼女とその連れ子を南アフリカから無事脱出させ、ロンドンで結婚した。しかし、その引き換えに、南アフリカの共産党に、イギリス諜報機関の情報を定期的に流すようになった。Castleは二重スパイであった。Castleの働く英国諜報機関(the British Secret Service)の南西アフリカ局は局長のWatson、年下で独身のDavisとCastleの三人チーム。このチームから情報の漏洩があることを上層部が気づき、局のメンバー、DavisとCastleに対する内偵が始まった。独身で、アパートで環境局の連中とルームシェアし、酒癖の悪いDavisは強い疑いをかけられる。動物園で秘書の一人とデートするために、歯医者に行くと嘘をついて勤務先を抜け出したのがばれて彼への嫌疑は更に深まった。結局彼は機関の産業医に毒薬をしくまれ表面的には病死ということで組織的に抹殺されてしまった。CastleはDavisの死を機に南アフリカ共産党への情報提供を終わりにすることにし(情報漏洩が続く、Castleが犯人であることが自明になる)、それをロンドンにいる共産党のコンタクト先に伝えた。ところが、Castleは南アフリカから派遣されてきた政府諜報機関長官から南アフリカの共産党員を危機に陥れる情報を得たために、自らの地位を失う覚悟でその情報を共産党のコンタクトに提供し、妻とその連れ子はCastleの母親の実家に行かせ、自らは共産党諜報機関の手引きでモスクアに亡命をした。たったこれだけの物語である。アパルトヘイト、東西冷戦などのテーマを扱っているので、古い映画を見ているような感覚で読書を続けたが、主人公Castleの高潔な人格に強く感銘を受けた。彼は、南アフリカ黒人妻Sarahと、その連れ子Samを、掛値無しで心から愛しているのだ。まだ妻だけなら理解できるが、妻が他の黒人の間で儲けた男の子まで実の子以上の愛情を示す。職場では、南アフリカの反政府組織に属していた女性、しかも黒人と結婚したということで好奇の目を浴びていた。Castleは英国の上流階級に属しており、実の母親は言葉には出さないものの黒人の嫁と黒人の孫がいることを不快に思っている。しかし、Casterは周囲の目を気にせず。ロンドン郊外にある小さな家で献身的に家族を守る。Castleが息子Samのために枕元で本を朗読する場面は感動した。ストーリー自体よりも、なんて素晴らしい人なんだろうというCastleに対する感情移入ばかりしていた。

Greeneの後期の代表作である本作品でさえ、古臭さを感じたので、彼の他の作品はもっと、そうなんだろうと思う。あと一作、Stephen Kingが推薦していた”Our Man in Havana”だけ読もう。

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Stephen Kingが自伝+創作技法について書いた”On Writing”の中で彼の自信作の一つとして、この作品を取り上げていた。そこで試してやろうと思い、早速amazonでペーパーバックを入手して読んでみた。これまで、”IT”, “The Dream Catcher”、その他三作程度彼の作品を読んできたが、長くて退屈、会話にスラングが多い、アクションが複雑、知らない単語が多いの理由で、正直楽しむことが出来なかった。何作は途中で挫折したほどであった。これは本好きの私には珍しいことである。しかし、海外、特にアメリカに出かけると、移動時間や待ち時間の暇つぶしに空港の売店などで本を買うとなると、出版点数が多い彼の作品が選択肢に必ず入ってくる。彼の作風が好きになれば、それだけ本探しに苦労しなくて済むので、彼が自画自賛する作品を読んでみて、彼の作風が好きになればよいなと考えた。読後の評価であるが、この”The Dead Zone”は私がこれまで読んだStephen Kingの作品の中では一番良かったし、これまで読んだスリラー小説の中でもトップクラスに入る傑作だと思った。人の体や人に由来する物を触っただけで、その人の未来を予期できる能力を持った青年の物語。メイン州に住む若き高校教師Jonny Smithは幼年の頃スケート中に転倒し頭を打って脳内に傷が残った。これが彼に未来を予見する能力をもたらした。ある日付き合い始めたばかりの同僚高校教師のSarahとFarm Fairに出かけた。Jonnyは予期能力を使って、Farm Fairに出店していたThe Wheel of Fortuneで連続して賭けに勝ち、500ドルあまり儲けた。ところが集中したときのJonnyの不気味な形相を見て、Sarahは気分が悪くなってしまった。JonnyはSarahをアパートまで送り少し介抱した後に、タクシーを呼んで自分のアパートに戻ろうとした。ところが、そのタクシーが酔っ払って反対車線を走ってきた車と正面衝突し、Jonnyは瀕死の重傷を負い意識不明となり、植物人間状態のまま4年半も病院で過ごすことになった。一方SarahはJonnyの回復を待つ事が出来ず、別の男性と結婚し、子供もできた。そして4年半後Jonnyは意識を回復する奇跡を起した。Jonnyは病院に留まり度重なる手術と機能を回復のためのリハビリを続けた。この間にJonnyは何度か予期能力を発揮して周囲の人間を驚かした。担当医師の一人のSamがとても親切なので何かお礼をしたいと思い、瞑想に入ったらところ、Samには赤子の時、ドイツ軍侵攻でワルシャワで行方不明になって死んだと彼が考えている母親がいることが分かった。Samにいきなり母親の写真を見せてほしいと要求し、Samを驚かせたが、写真をもらって更に瞑想すると、その母親は実は健在でカルフォルニア州カーメルに別名で生活していることを透視した。この件はSamが母親宅の電話番号を探し、実際に電話をし、母親の声であることを確認した。リハビリ担当の女性の家が火事になることを予見した時、周囲に何人かの看護士が予見の様子を見ていたために、町中の噂になり、マスコミが押し寄せ、彼はたちまち有名人となるが、残念なことに、リハビリ担当の女性や看護士らは逆に彼のことを気味悪く思い、避けるようになった。その後、奇抜なキリスト教の宗派に熱中し半分狂人化した母Veraが急死したのを機にJonnyは同じメイン州の実家に戻り父親のHerbtoと一緒に暮らし始めた。暫くして、担当医師のSamから紹介を受けたということでCastle RockのSheliffからBannermanから突然電話があり、数年にわたり未解決の連続強姦殺人事件の犯人特定の手がかりがなく困り果てているので支援してほしいとの申し入れを受けた。Jonnyは断ったが、その夜のニュースでCatsle Rockで更に小学生の少女が強姦殺人された事件が起こったことを知り、Jonnyは変心し、Bannermanを助けることにした。深夜だったにも拘わらずBannermanに先導され殺人現場に行き瞑想したところ、なんとBannermanの部下が犯人であることを透視してしまった。こBannermanは当初これを受け入れられず、逆上してJonnyを殴りつけたりしたが、Jonnyの説得に応じて、勤務時間表と連続事件の推定死亡事件をすりあわせたところ、部下が勤務中だったのは一度だけで、後は全て休暇であった。部下が犯人である疑いが高まったBannermanは深夜にも拘わらずJonnyを連れて部下の家を訪ねた。そこで、血のりついた文字で犯行の告白を残した部下の死体を発見した。このJonnyの透視能力による事件解決はローカル紙だけでなく、ニューヨークタイムズにも報道され、彼は再度有名は超能力者として世間に知られるようになった。しかし、この件のため復職が決まっていた高校から、生徒の教育上良くないという理由で採用取消に通知を受けた。Jonnyは実家を出て隣の州のニューハンプシャーに行き、カフェの調理師を経て、成功した実業家であるRoger Chastworthの豪邸に住み込み、彼の息子Chuckの家庭教師になった。Chuckは読書障害の抱えており、そのため学業成績が不良で高校の卒業が危ぶまれていた。JonnyはChuckとすぐに良好な関係を構築し、学会で発表されていた理論を適用し、Chuckの読解力を著しく改善させた。これに喜んだ父親のRogerはJonnyにボーナスを弾んだ。そしてChuckの高校卒業パーティの日、Jonnyはパーティ会場のレストランに落雷があり、それで大火事になってChuckが同級生ともども焼死することを予見してしまった。Chuckをパーティに行かせないためにRogerとChuckを必死に説得するも難航し、一度レストランに下見に行き、避雷針が設置されてないことを発見し、卒業パーティを自宅に変更させることができた。しかし、そのままレストランでパーティを行っていた同級生とChuckの家のパーティに分散してしまった。そしてJonnyの予見どおり、レストランは落雷で大火事になり、その場にいた高校生の多くが焼死してしまった。この件でRogerはJonnyに大きく感謝するが、Chuckの同級生やその両親からは、不気味な存在としてJonnyは非難され、翌日JonnyはRoger Chastworthの家から事前予告なく姿を消した。この小説は大団円は、カリスマ性と実行力で熱狂的な支持層を拡大している若き下院議員Greg Stilsonが将来米国大統領になって核戦争を引き起こし世界を生地獄にしてしまうことを予期したJonnyが、長い葛藤の末、Stilson下院議員を暗殺するために狙撃することである。暗殺事態は失敗しJonnyは悪化した脳の腫瘍のため死亡するが、狙撃された時に、Stilsonが聴衆にした小さな子供を盾にして狙撃を防いだために議員生命を絶たれ、Jonnyの意が叶う。Greg Stilsonは重要な脇役でオクラホマ州の聖書のセールスマンから暴力と恫喝と統率力を武器に下院議員になった人物で、Jonnyにひけをとらないエクセントリックな人物であった。以上のように本作品は卓越な着想で書かれているが、数多くの登場人物の描写に関しても非常に優れており、全ての人物に対して深い興味を持てた。”On Writing”でStephen Kingが強調していた会話によって読者に登場人物の性格、生き様を想像させる技法が見事に活かされていた。またBack Story(背景説明)が簡潔に冗長することなく挿入されていたのがストーリー、登場人物の理解を容易にしてくれた。約400ページ近い長編であったが、苦なくあっという間に読めた。まさに、page tuner と呼べる作品であった。
The Dead Zone
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この短編集には前回紹介した”Blood Drive”の他に6編の短編が収められている。いずれも、John Grishamが過去の長編小説で取り上げたテーマのいくつかが、Ford County、その郡の中心街であるClantonを舞台にして、見事に凝縮されている。”Fetching Raymond”は死刑囚とその家族の話。母親の手ひとつで育てられた男ばかりの三人兄弟、彼らはいずれも犯罪歴があり、Ford Countyで評判の、出来の悪い兄弟。長男は更生し、次男は懲役を終えた身だが、末の三男だけが警官殺害の罪で死刑囚として入獄している。三男の死刑執行の日、長男が大きなバンをClantonの家具屋で借り、それに70代で車椅子生活の母親と次男を乗せて、監獄まで行き、深夜の死刑執行を見届け、遺体を車に載せて、早朝遺体を埋葬し、車を約束通り家具店に返した。そんな一日にも満たない期間の物語である。前半は三人(母親、長男、次男)による三男についてのゴシップ。送金が無いと三男が不平を述べているとか、三男は小説をたくさん書いて出版社に送付ばかりしているとか、獄中結婚したとか、その後分かれたとか、シカゴの大手法律事務所が弁護してるとか解雇したとか。州刑務所についてからは、三男との面会、彼の気をてらう言動、行動、そして死刑執行。”The Chamber”を書いているだけあって、John Grishamの死刑執行前後の家族、死刑囚の動揺、死刑執行の記述は見事なものであった。

第三話の”Fish Files” Clantonで秘書一人だけを雇って小さな法律事務所を営む弁護士の話。Clantonは人口一万数千人程度の街だが、弁護士が50人ほどいる。彼らは離婚調停、養育権紛争、遺言書、軽犯罪の弁護などの案件を奪い合うようにして生きている。主人公のMackもそのようにして17年間法律事務所をやりくりしてきた。昨年の事務所の総収入は95,000ドル、そこから秘書の給与、事務所の経費などを引くと、手元には46,000ドルしか残らなかった。妻と二人の娘がいるが、妻とはやや倦怠期にあった。そんなMackにある日、面識のないニューヨークの大手法律事務所のパートナーから突然電話がかかってきた。そのパートナー曰く、彼の顧客である欧州の大手企業が、韓国企業を買収することになったが、その被買収先企業のliabilityを全て綺麗にしておきたい。調査を進めたところ、約5年前に、Mackがこの韓国企業が製造したチェーンソーで大怪我をした被害者4名を原告として、この韓国企業に対して裁判を起そうとした事が判明した。そこで、30日以内での返答で、交渉無し、開示一切なしという条件で、総額500,000ドルで和解しあいというオファーであった。実はこの案件、裁判に持ち込んでも勝ち目が無いことが分かり、既に諦めて、彼自身がFiish Filesと呼ぶ、休眠案件に入れていあったのだ。まさに、このオファーは棚から牡丹餅であり、翌日からMackは極端な行動に出る。まず、秘書を解雇。泥酔して帰宅し、妻と口論し、別居。妻の家族の前で奇怪な行動をし、離婚を推進。同時にチェーンソーの被害者四名のうち二名に接触し、各々25,000ドルの現金で決着をつけ、残りの二名は行方不明だったので、署名入り書類を偽造した。知り合いの腕利きの弁護士を雇い、離婚の調停と、Mackの法律事務所の清算、Mack自身の自己破産の処理をお願いした。ここからがJohn Grishamの典型的なハッピーエンドなのであるが、和解したお金は彼がメンフィスにこしらえた銀行口座に送られ、彼はカリブの島で長い休暇を取る。おもしろい、作品ではあったが、Mackがわずか手数料@500,000ドルの和解金で、ここまで極端な行動を取る動機付けが弱く、その点で違和感があった。

第四話”Casino”。Ford Countyきっての起業家で悪名高いBobby Carlが、インディアンYazoo族の子孫(父の祖父が1/16,Yazoo族の血が流れているという調査書をコンサルティング会社に作成させた)登録し、、Ford Conty内にYazoo居住区を連邦政府に認可させ、カジノを開業した。Ford Countyの人々は敬虔なキリスト教徒が多く、彼らはカジノの開業に反対していたが、郡外の顧客でカジノが繁盛するにつれて、彼らもカジノを様々な催しで使うようになった。この成功の影に、一人の女性がいた。彼女は48歳の女性だが、非常に魅力的で、最初はBobbyの恋人だったが、カジノの営業プロモーション、内装等で才能を発揮し、カジノのオペレーションのヘッドにまで登りつめた。実はこの女性、26年連れ添った保険会社に勤める夫と、成人して家を出た娘がいたが、夫に対する愛を失い、一方的に離婚届を用意し、家を出てのであった。夫のSidneyの方は妻を深く愛していたので、妻の出奔に大きなショックを受け、仕事の後、毎日妻を見つけるために、Clantonの街に出て彷徨したが、見つけられなかった。そのうちSydneyはカジノに通って21のテーブルで賭けをするようになった。これで彼の隠れた才能が開花し、コンスタントに勝ち続けた。本格的にカードを勉強するために、彼はラスベガスに出て高額を払ってプロの下で勉強し、プロから太鼓判を押されて修了した。その後彼は他州やラスベガスに頻繁に出てカジノで勝利し、富を築きはじめた。Sydneyは愛する妻がBobby Carlの情婦になり、しかもカジノを取り仕切っていることを噂で知った。そこで彼は復讐を企てる。Bobbyと妻が抽選で当たった顧客を率いてカリブ海にクルージングに出て不在の隙に、Sydneyは二日連続で違う変装でカジノに現れ大勝をし、それぞれ184,000ドルの現金、945,000ドルの小切手を得た。資金繰りが苦しく小切手の期限内にカジノが945,000ドル払えないことを知っていた彼は、Clantonの裁判所に、カジノはお金を払う気が無いと訴えた。担当裁判官はカジノが猛烈に嫌いな人間。カジノ側に即時にSydneyに対して945,000ドル支払うことを命令し、支払いが済むまでカジノの閉業を宣告した。Sydneyはさらに高等、連邦裁判所にも訴え、カジノはその他の訴訟も受け、ついに経営が立ち行かなくなった。Sydneyが情婦の元夫だったと知ったBobbyは彼女を解雇した。エンディングは、一人娘の仲裁で、元妻がSydneyの元の鞘に納まるということ。まぁ、こんな愉快な復讐もあるのかと思った。

第五話の”Michael’s room”は、ある日の夕刻、夕食用の冷凍ピザの買出しをしていた弁護士が、Clantonの路上でいきなり拉致されることから始まる。弁護士は骨太の労働者に拳銃を突きつけられ、労働者の息子の運転する古いフォードのピックアップトラックで郊外に連れて行かれた。車内で労働者の男は、拉致した弁護士のStanleyに対して、八年前に産婦人科医を治療ミスで告訴したが、Stanleyが被告側に有利な弁護を展開したために敗訴したJim Cranwellだと名乗った。Stanleyはその裁判のことを思い出し、Cranwellが報復のために彼を拉致したことを悟った。山道の門のところで車は停止し、拳銃をつきつけられながら車を出て、山道を歩き始めた。Stanleyがいろいろと質問をしたためCranwellは怒り、耳元に拳銃をつきつけ撃ち殺すとStanleyを脅した。この恐怖のため、彼は小便を漏らしてしまった。その後10分ほど歩いて、小さなレンガ造りの家に着いた。玄関には数人の男達がいた。Cranwellは家内をずっと奥に進んで、ベニア板製の離れにStanleyを連れて行った。そこには医療ミスが原因で重い障害が残ったCranwellの次男Michaelがいた。この部屋で、Cranwellの親戚と思われる男達、Cranwellの妻、二人の息子が見守る中、CranwellによるStanleyに対する私的裁判が始まった。StanleyがMichaelの医療コストと寿命を非常に低めに見積もったことを糾弾。医療ミスを行った医師は実は生活が乱れ医師ライセンスを剥奪されたような人間にも拘わらず、この医師が非常に立派な人間であるとStanleyが主張したことを糾弾。Cranwellの家族が息子の障害を傘に多くのお金を取ろうとしているという印象を陪審員に与えた事を糾弾。現実のCranwellの家族の生活は、日に何度も発作を起すMichaelの介護、薬代、看護士費用で、家計は火の車で、教会や隣人の寄付でなんとかやりくりをしている大変な状況であった。Cranwellは裁判の記録を入手し、全てを詳細に読み込んでおり、彼の糾弾には一点の漏れもなかった。このため、Stanleyは彼の誤りを認めるしかなかった。この私的裁判の後、Stanleyは殺されることを覚悟したが、Cranwellは拉致をしたフォードのピックアップに再びStanleyを乗せて、Clantonの街角に彼を送り返した。帰りの車内でCranwellがStanleyに言った次の言葉が印象に残った。”Listen to me, Lawyer Wade(Stanley). I don’t blame you for what happened to Michael, but I blame you for what happened to us. You’re scum, and you have no idea of the misery you’ve caused.”  当初ただの荒くれ者とおもわれた男が実は非常に思慮深い男であり、一方スマートな弁護士であるStanleyは顧客を弁護するためには、どんな酷い手も使って弱者を追い詰める。この対照をこの作品の中でGrishamは見事に炙り出している。

第六話の”Quiet Haven”は老人介護施設ばかりを狙って、お金儲けをする30代後半の男性Gilbertの話。Gilbertは狙いをつけた老人介護施設に介護員として短期間働き、介護敷設の不正を見つけて十分な証拠を集めた後、老人介護施設に対する訴訟を専門とする弁護士に情報を売り渡す。更に財産を持った被介護老人に取り入り、老人に遺言状を書き直させ、Gilbertが老人の財産を相続する。今回目を付けたのはFord Countyにある老人介護施設Quiet Haven。時給6ドルで夜間シフトという人が最も嫌がる職種(数ヶ月も求人広告が新聞に載り続けていた)に応募し採用された。この施設の食堂で働く黒人のおばさんに取り入り、入所者のあらゆるゴシップを入手した。目をつけたのがLyle Spurlockという84歳の男性。彼は歩く性欲と呼ばれ、看護士から入所者から、ありとあらゆる女性に性的関係を求める。しかし、前妻から広大な土地を相続し、財産を持っていた。GilbertはLyleに取り入り、Playboy誌を差し入れる、映画に連れ出すなどし、挙句の果ては、売春の元締めをしているGilbertのアパートの大家の斡旋で、売春婦までLyleにあてがった。Lyleが南北戦争の南軍の史跡の保存に興味があると知るや、Gilbertは保存を行う架空の団体を設立し、Lyleに遺言状の相続先をこの団体に変更させた。一方、訴訟情報の方は、ある夜、重度の女性の入所者が大怪我をした写真を撮り、さらに、虚偽の看護日誌の写しなどをそろえて弁護士に売り、弁護士はQuiet Havenと400,000ドルの和解金を勝ち取った。これはアメリカの老人介護施設での話であったが、労働環境、入所者の性向などは、おそらく日本の施設でも似たようなものではないかと思った。そういう重いテーマを取り上げながらも、Gilbertの策略がスバスバと決まる爽快な物語であった。

短編集最後は”Funny Boy”.この作品は題名に反して非常に重い主題を取り扱った悲しい物語である。素封家Issac Keaneの末子のAdrian Keaneはゲイ。南部の田舎町Clantonはゲイに理解があるところではなく、彼は街を出てニューヨークで働き、そしてサンフランシスコに移り住んだ。そのAdrianが1984年にClantonに戻ってくることになった。しかも、AIDS患者とした。この事は散髪屋やDell(過去にも、朝食を配膳する女性として何回かGrishamの小説に出てきている)のカフェを通じて町中に広がった。Keane家はAdrianと同居するのは嫌なので、黒人街に所有する貸家の店子である一人暮らしの黒人女性のEmporia(70歳代)に、貸家を彼女に無償で譲渡するからと、Adrianを同居させて面倒を見ることを承諾させた。こうして、黒人街に、AIDSが進行してがりがりに痩せた白人のゲイ男性が住む事になった。性格が良く敬虔なクリスチャンであるEmporiaは、偏見を持つことなく、Adrianにやさしく接し、看護士の言いつけどおりに、しっかりと彼の面倒を見た。しかし、1980年代の南部、AIDSの情報と教育が行き届いておらず、人々は病気が伝染することを恐れてAdrianとの接触をさける。例えば、タクシーは乗車拒否をするし、近所の若者はAdrianからお札を受け取ることを拒否した。EmporiaとAdrianは年齢、人種を超えた友情を育んだ。敬虔なクリスチャンであるEmporiaは酒は嗜まないし、酒屋にさえ近づいたことがない。しかし、食後にワインが飲みたいというAdrianの願いをかなえるために彼女は酒屋にも出かけた。そんなある日、彼女は教会の牧師に呼び出された。牧師は酒屋に行ったことを咎め、AIDSの白人男性が近隣に住んでいることで住民が怖がっていると言った。EmporiaがAdrianを追い出せという牧師の要求を拒否したところ、牧師は”Leave of absense(信者資格の一時停止)”を彼女に宣告した。彼女は教会を行く事をやめ、近所つきあいも疎遠になった。また、彼女はAdrianの食後のワインにもつきあうようになった。彼女が孤立していくことに気付いたAdrianは彼女に詫びるが、逆に彼女から、ある告白を受けた。彼女は70代の老人であるが、一度も結婚したことがない。実は男性との縁が薄かったのではなく、男性に興味が湧かなかったからだというのだ。貸家が自分の持ち家になるという金銭的動機だけでなく、彼女自身もそのような内面的問題を抱えていたために、彼に同情的だったのだ。薬を服用することをやめたAdrianは日々弱っていき、ある日、とうとう彼の部屋で死に絶えてしまう。Emporiaには下記の手紙を残していた。

Dear Emporia:

Please destroy this letter after you read it. I’m sorry you found me like this, but this moment was,after all, inevitable. The disease had run its course and my time was up. I simply decided to speed things up a bit. Fred Mays, the lawyer, has taken care of the final arrangements. Please call him first. He will call the coroner, who will come here and pronounce me legally dead. Since neithr of the funeral homes in town would handle my body, a rescue-squad ambulance will take me to a crematorium in Tupelo. There, they will happily incinerate me and place my ashes in a container made for the occasion. Standard container, nothing fancy. Fred will then bring my ashes back to Clanton and deliver them to Mr. Franklin Walker at the funeral home here in Lowtown. Mr. Walker has agreed, reluctantly, to bury me in the black section of the cemetery, as far away from my family’s plot as possible. All of this will be done quickly, and, I hope, without the knowledge of my family. I do not want those people getting involved, not that they will want to be. Fred has my written instructions and plans to deal with them, if necessary. When my ashes are buried, I’d be honored if you would offer a silent word or two. And feel free to stop by my little spot occasionally and leave some flowers. Again, nothing fancy.There are four bottles of wine left in the fridge. Please drink in rememberance of me. Thank you so much for your kindness. You’ve made my last days bearable, and even enjoyable at times. You’re a wonderful human being, and you deserve to be what you are. Love, Adrian. 

John Grishamは大成功した作家で、何回か離婚しているかもしれないが、奥さんも子供もいる筈。それが、何故このように一人で死に行かなければならない人間の究極の悲しみを理解し、表現できるのだろうか? 筆力と言えば、そうなのだが、ほんとうに素晴らしい。私的なことを述べると、私はAIDSではないが、生涯独身なので、いずれ誰にも見送られない孤独な死が待っている。彼のように弁護士と相談するなりして、何時死んでも他人に迷惑がかからないようにしなければ。
Ford County
Ford County

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約20年ぶりに、この本を読んだ。前回は二十代半ばに講談社文庫を買って読んだ。当時はまだ欧州への渡航経験は全く無かった。今回は世田谷図書館の保存庫に格納されていた単行本を借りて読んだ。昭和57年初版で、貸出の記録は、89-2-3に始まり、98-6-5が最後で、貸出回数は15回。現在の私は欧州への渡航経験は5回を越え、この物語の主な舞台であるポルトガル、スペイン、イタリアには、それぞれ2-3回訪問している。この小説は、1582年(天正10年)にイエズズ会巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノAlessandro Valignano)の画策で、九州のキリシタン大名の名代として、ローマに派遣された4名の少年使節 天正遣欧使節団の行程を時系列に、従者のコンスタンチノ・ドラードの手記という形で追った物語である。長崎をたったのが1582年2月、マカオ、マラッカ、コチン、ゴア、喜望峰、サンタ・ヘレナ島を経て、約二年半後の1584年の8月にようやくポルトガルのリスボンに到着した。リスボンからは陸路を東に進み、エヴォラ、トレドを経てマドリードには、同年11月に到着し、大歓迎を受けた。その後、陸路を更に東に進み、地中間沿岸のアリカンテまで行き、そこから船でイタリアのトスカーナ公国のリヴォルノ(ピサの近く)に渡り、フィレンツェなどを経てローマに着いたのが、離日してから約3年後の1585年の3月であった。当時のローマ教皇グレゴリオ十三世に謁見し、念願どおり教皇の御足に接吻できた使節4名であったが、その教皇が80歳過ぎの高齢であったこともあり、三週間もしないうちに死亡してしまった。新教皇にはシスト5世が選出されたが、彼は少年使節を最優遇し、自身の戴冠式には、少年使節らをローマ元老院議員、フランス大使、ベネチア大使らと同列に着席させ、聖油を塗って祝福された教皇の手を水で灌ぐという隣席者のうち最も身分の高い者に与えられる役割を少年使節の一人伊東マンショに担わした。更に少年使節全員はローマ元老院から4人だけでなく半永久的に彼らの子孫までにも名誉ローマ市民権を与えた。このような国賓級扱いは、ローマだけでなく、少年使節が訪問した欧州内の全ての場所で、例外なく受けた。もし、これらが著者三浦哲郎の完全なフィクションではなく、史実(残存している記録)に基づいたことであるなら、この少年使節を企画した巡察師のヴァリニャーノは、そうとうの曲者といわざるえない。少年使節は日本の国王の血を引く高貴な少年として、当時のポルトガル、スペイン、イタリアでは信じられていたようだが、とんでもない。そもそも4人の少年使節は九州地方の戦国キリシタン大名、大友、有馬、大村の遠縁にあたるものでしかない。また、こえらのキリシタン大名がローマ教皇にあてた親書もヴァリニャーノらによる創作であるとも言われている。教皇、国王、貴族から一般大衆までを完全に騙しとおしたわけである。読前は天正遣欧使節は純真無垢な巡礼だと思っていた私は、かなり興ざめしてしまった。所詮は一人の野心家が日本を植民地化するための、人的、金銭的支援を南欧列強国から得るために仕組んだ、大芝居だったと。著者は、この疑いを、後に4人の使節の中で唯一棄教した千々国ミゲルが、復路のマカオで、コンスタンチノ・ドラードに告白する形で、提示している。ローマの後、イタリア各地で大歓迎を受け、イタリア最終滞在地のサボイア公国のジェノバ港から船に乗りバルセロナに着いたのが1585年8月16日。復路もマドリード、エヴォラに立ち寄り、同年12月に約一年半ぶりにリスボンへに帰還した。当時は帆船による航行なので、季節風が吹くまで出奔はできない。従って、帰国船がリスボンから出航できたのは翌年1586年4月8日であった。帰路は往路と変らぬぐらい困難を極めた。ソファラの州という浅瀬に入り込み、身動きが取れなくなったり、また寄港したモザンビケでは、サン・ロレンゾ号という難破した別の帆船の遭難者がたくさん詰めており、結局、半ば彼らに乗っ取られる形で、天正遣欧使節の乗っていたサン・フェリッペ号はリスボアに向けて出航してしまい、少年使節はモザンビケの港で、宛もなくインドのゴア行きの船を待つ破目になった。これらの苦難を乗り越え、ようやくマカオに到着したのは1588年の8月11日であった。ところがここで最悪のニュースが待っていた。天下を取った豊臣秀吉が前年の6月に事実上キリスト教を禁じる「バテレン追放令」を出していたのだ。これにより、日本に行くポルトガル籍船が事実上なくなり、マカオで足止めをくってしまった。こうした最中でも策士のヴァリニャーノ巡察師は、自らをインド副王の使節に仕立てることで秀吉への謁見を企てていた。約一年十ヵ月後ようやく帰国船の手配が着き、マカオを出航し、インド副王使節に衣替えした天正遣欧使節は、1590年7月21日に長崎に到着した。なんと約9年ぶりの帰国であった。帰国後、ヴァリニャーノ巡察師と遣欧少年使節の面々はインド副王の使節としてなんとか秀吉に謁見は出来たものの、結局、秀吉にバテレン追放令を撤回させることは出来なかった。百戦錬磨の秀吉は、ヴァリニャーノ達が偽者の使節であることは、とっくに見抜いていたのだと思う。

さて、この小説であるが、残念ながら現在絶版になっている。理由は明白で、つまらないからである(日本文学大賞受賞作品をこのような評価を下すのは大胆あるが)。三浦哲郎は私の好きな作家の一人であるが、この作品に限っては、だらだらと行程を辿っているだけで間延びしており、感情移入がしにくい、退屈な作品であった。題材が卓越しているだけに、小説がこのような形になったことは残念である。おそらく彼は膨大な史料の中で針路を見失しなったのであろう。誰が書けばよかったのか? 司馬遼太郎か吉村昭かな。いや、このスケールであれば、井上靖しかいない。でも三人とも故人だ。三浦哲郎の歴史小説に関して、彼の故郷である南部藩を題材にしたものは優れていると思う。天明の大飢饉の時の人食いを題材にした『おろおろ草紙』は素晴らしかった。
少年讃歌 (文春文庫)
少年讃歌 (文春文庫)
おろおろ草紙 (講談社文芸文庫)
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Back story,すなわち、どうやって必要な登場人物の背景説明をいれるべきか。

Back story helps define character and establish motivation. It’s important to get he back story as quickly as possible, but it’s also important to do it with some grace. 下記は離婚した妻との偶然の再会の記述。離婚したというBack storyをnot graceful に記述した例と、より洗練して記述した例。

“Hello,ex-wife,” Tom said to Doris as she entered the room.

“Hi, Doris,” Tom said. His voice sounded natural enough – to his own ears, at least – but the fingers of his right hand crept to the place where his wedding ring had been until six months ago.

Stephen KingはJ. K. Rowlingはback story使いの名手だと褒める。”ハリーポッター”は毎回、how effortlessly each new book recaps what has gone before. 本書の巻末の推薦読書リストにハリーポッターの三冊 the Chamber of Secrets, the Prisoner of Azakaban, the Sorcer’s Stone が含まれている。

The most important things to remember about back story are that a) everyone has a story and b)most of it isn’t very interesting. Stick to the parts that are, and don’t get carried awa with the rest. Long life stories are best received in bars, and only then asn hour or so before closing time, and if you are buying.

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創作の手順について

In my views, stories and novels consist of three parts: narration, which moves the story from point A to point B and finally point Z; description, which creates a sensory reality for the reader; and dialogue, which brings characters to life through their speech. You may wonder where plot is in all this. The answer – my answer,anyway – is nowhere. I distrust plot for two reasons: first,because our lives are largely plotless, even when you add in all our reasonable precautions and careful planning;and second, because I believe plotting and te spontaneity of real creation aren’t compatible. It’s best that I be as clear about this as I can- I want you to understand that my basic belief about the making of stories is that they pretty much make themselves. The job of the writer is to give them a place to grow. I lean more heavily on intuition, and have been able to do that because my books tend to be based on situation rather than story.Some of the ideas which have produced those books are more complex than others, but the majority start out with stark simplicity of a department store window display or a waxwork tableau. I want to put a group of characters(perhaps a pair;perhaps even just one) in some sort of predicamnt and then watch them try to work themselves free. My job isn’t to help them work their way free, or manipulate them to safety, but to watch what happens and then write it down.

The situation comes first. The characters – always flat and unfeatured, to begin with – come next. Once things are fixed i my mind, I begin to narrate.I often have an idea of what the outcome may be, but I have never demanded of a set of characters that they do things my way. On the contrary, I want them to do things their way. In some instances, the outcome is what I visualized. In most, however, it’s something I never expected. For a suspense novelist, this is a great thing. I am after all, not just the novel’s creator but its first reader. And if I’m not able to guess with any accuracy how the damned thing is going to turn out, I can be pretty sure of keeping the reader in a state of page-turning anxiety.

Description is what makes the reader a sensory participant in the story. Good description is a learned skill, one of the prime reasons why you cannot succeed unless you read a lot and write a lot. It’s not just a question of how-to; it’s also a question of how much to. Reading will help you answer how much, and only reams of writing will help you wit the how. You can learn only by doing. Description begins with visualization of what it is you want the reader to experience. It ends with your translating what you see n your mind into words on the page. It’s far from easy. Thin description leaves the reader feelin bewildered and nearsighted. Overdecription buries him or her in details and images. The trick is to find a happy medium. It’s also important to know what to describe and what can be left alone while you get on with your main job, which is telling a story. Description begins in the writer’s imagination, but should finish in the reader’s. I hink locale and texture are much more important to reader’s sense of actually being in the story than any physical description of the players. For me, good description usually consists of a few well-chosen details that will stand for everything else. In most cases, these details will be the first ones that come to mind. In most cases, your first visualized details will be the truest and best.

It’s dialogue that gives your cast their voices, and is crucial in defining their characters – only what people do tells us more about what they are like, and talk is sneaky: what people say often conveys their character to others in ways of which they are completely unaware. Well-crafted dialogue will indicate if a character is smart or dumb, honest or dishonest, amusing or old sobersides. Good dialogue, such as that written by George V. Higgins, Peter Straub, or Graham Greene, is a delight to read; bad dialogue is deadly. Dialogue is a skill best learned by people who enjoy talking and listening to others – particularly listening, picking up the accents, rhythms,  dialect, and slang of various groups.

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