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Archive for the ‘正しく、明るく、実りある人生をおくるための智慧’ Category

摩訶般若   摩訶は偉大なという意味、般若は智慧。

波羅蜜多   彼岸に渡ること。

六波羅蜜
 1.布施   施す事。物を施す物施と、心で施す心施がある。
 2.持戒   してはいけない、戒律を守ること。
 3.忍辱   辛抱すること
 4.精進   努め励むこと。
 5.禅定   座禅すること。
 6.智慧

五蘊皆空   色、受、想、行、識のこと

色受想行職
             色   外側、目に見える物
             受   外側にある世界を自分で感じること。「椿は綺麗な。でも、
         あまり匂いがいないな。」
     想   ものを知覚すること。体で感じたことを、はっきりと自分で認
         識すこと。肌が冷たくなったことを、意識が「あぁ、冷たい
         な」と想うこと。
     行   行いではなく、意思の作用。自分の好きな人から嫌いだと言わ
         れたら、つらい。そのような気持ちの作用。
     職   認識すること。

度一切苦厄   度とは救うということ。一切の苦厄とは、仏教の四苦
          八苦。四苦は、生、老、病、死。更に、愛別離苦、怨憎会苦、
          求不得苦、五蘊盛苦。怨憎会苦は自分の嫌いな人と出会うことは
          避けられないこと。求不得苦欲しい物が手に入らない苦しみ。
          五蘊盛苦は人間の体や心が盛なために煩悩が衰えないことによる
          苦しみ。

無眼界乃至無意識界   物(色)が無いので見えるものがない。意識するものもない。

無明   心が真っ暗なので思慮判断ができないこと。または悩みや煩悩と解釈でき無無明とは、無明を断ち切れという意味。

十二因縁   1)無明、2)行、3)職、4)名色(名が精神、色が肉体)、5)六入または六根(眼耳鼻舌心意のこと。これが作用して色声香味触法の六境になる。六根と六境をあわせて十二処と呼ぶ)、6)触。7)受、8)愛、9)取、10)有、11)生。12)老死

苦集滅道   四諦といい、諦は真理のこと。苦諦は生老病死の四苦のこと。集 諦は苦の原因を考えること(無明が原因)。滅諦は苦の原因である無明を滅ぼし迷いのない理想の境地に達すること(涅槃)。道諦は八正道を行うこと。八正道には正見、正思、正話、正業、正命、正精進、正念、正定がある。

心無圭礙   こだわりの無い心。菩提薩 (菩薩)は、この境地を達成している。

遠離     遠くにつきはなすこと。

顛倒夢想   現実離れした逆様の妄想。

三世諸仏   過去、現在、未来。結局。無限の時間。永遠の時の流れ。

阿耨多羅   最高の、最上の。

三藐     正しい

三菩提    全ての智慧の集まり。

呪      真言のこと。

大神呪、大明呪、無上呪   人間を三つの位に分けている。声聞(自分の感覚で分かった)、縁覚(本を読んで分かった)、菩薩(悟りを開いた)。声聞が唱えるのが大神呪、縁覚が唱えるのが大明呪、菩薩が唱えるのが無上呪。

無等等呪   如来が唱える呪。

能除一切苦   全ての苦を取り除く(真言)。

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出所:http://sago.livedoor.biz/archives/50251034.html

アラブからの留学生とアメリカ人大学院生の間に生まれて、直ぐに養子に出されたアップルコンピューターの創業者のステーブ・ジョブス。2005年に彼がスタンフォード大学で行った祝賀スピーチの日本語訳とビデオが上記のリンクで見れる。

やはり、違うね。彼のスピーチの中で特に感銘を受けた点

・未来に先回りして点(経験、筆者註)と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

・誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

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