Feeds:
投稿
コメント

Archive for the ‘雑感’ Category

日本時間の2月25日、Googleが検索エンジンのアルゴリズムを大きく変更したと発表した。Googleは頻繁に検索アルゴリズムのチューニングを行っているようだが、今回のように、わざわざPrincipal EngineerのMatt CuttsがGoogleのオフィシャルブログで、「検索のアルゴリズムを変えました」、と発表したのは私の記憶している限り初めてのことだ。この発表によると、内容的に役に立たない低品質なサイトを検索結果から排除することを目的にしたアルゴリズムの改変であり、Googleは同時に検索結果の順位が従来と比較して11.8%程度変わると警告を発した。この変更はサイトへの商用トラフィックをGoogleの検索エンジンに大きく依存しているサイトにとっては死活問題になるかもしれない。アドネットChitakaの調査によると、Googleの検索結果の先頭になると34%、二番目だと17%の割合でユーザーがリンクをクリックするという。このため、各社は自社でまたはコンサルタントを雇ってSEO(Search Engine Optimization)に必死で取り組んでいるのだ。従って、サイトオーナー達が、今回のGoogleのアルゴリズムの改変に合わせて、SEOのやり直しを迫られる可能性は大だ。

そもそも何故Googleが突然このような大改変を行うに至ったのか? 本日のブログ記事に翻訳を掲載したが、シリコンバレーを代表する新聞The San Jose Mercury Newsによると、最近Googleの検索結果のクオリティが落ちているとの非難の声が非常に大きくなっており、少なからずの批評家が、その主因としてGoogleがスパムやコンテンツ・ファーム(特定のキーワードに関連したコンテンツを大量に用意したサイト)を検索結果の上位に持ってくるためだと指摘しているという。そして、ここからがGoogleにとって突かれると非常に痛いところなのだが、これらのサイトには通常Googleのコマーシャルリンクが張られているために、ユーザーがクリックをすると、Google自身広告収入をシェアできる。換言すると、Googleは広告収入を得るために、検索結果のクオリティを妥協しているというのが、非難が大きい本質的な理由である。

これを裏付けるような事件をニューヨークタイムズが先日暴いた。昨年後半から年末までの数カ月間(アメリカの小売業は年間売上の40%程度を年末のホリデーシーズンに稼ぐという、もっとも重要な時期)、アメリカの中級デパート・チェーンのJ. C. Penney (全米に1,100店舗、売上約1兆3千億円)のサイトが様々な商品のGoogle検索で常時検索結果の一番に現れたという。検索語が”J.C.Penny”とかJ.C. Pennyでしか取り扱っていない商品であれば理解出来るのであるが、”dresses”(ドレスの複数形),”bedding”(寝具),”area rug”(絨毯みたいな敷物)で検索結果のトップであった。更に、より一般的な”skinney jeans”(細身のジーンズ),”home decor”(インテリア家具),”comforter sets”(掛敷寝具セット),”tablecloths”(テーブルクロス)であっても、検索結果の一二番だったという。もっとも笑えるのが、“Samsonite carry on luggage”である。本家のSamsoniteのサイトを抑えてJ.C. Pennyがずっと一番だったという。ニューヨークタイムズがWebトラフィックの専門家を雇ってこの原因を分析したところによると、何百を超えるサイトがJ.C. Pennyのサイトへリンクを張っていたことを発見した。例えば、これらのサイトの中の2,015ページが”black dress”,evening dress”,”cocktail dress”等の”dress”に関連する言葉を含んており、ここからJ.C. Pennyのサイトに直接リンクが貼られていた。じゃ、ドメイン名はどうかというと、”black dress”はnuclear.engineeringaddict.com、”evening dress”はcasino-focus.com、”cocktail dress”はbulgariapropertyportal.comにあったという。SEOには、コンサルタント達がアルゴリズムを研究して行うGoogle推奨のwhite hat と、トリックを使って検索エンジンを引っ掛けるblack hatのニ通りがあり、このやり方は明らかに後者である。誰もこんな手間のかかることを無料ではしない。誰かが金を払ってやらせた筈である。ニューヨークタイムズがJ.C. Pennyに取材したところ、彼らは直接指示したことを否定し、それまで雇っていたSEOのコンサル会社との契約を打ち切ったという。それでは、数カ月間も多くの商品に関する言葉でGoogle検索結果のトップであり続けた成果については、ニューヨークタイムズの取材に対し、J.C. PennyはGoogleの検索結果からのトラフィックは全体のわずか7%に過ぎないと答えた。しかし、業績に関するプレスリリースでは、J.C. Pennyは12月にトラフィックが増えたおかげで jcpenny.comのオンライン売上が著しく成長したと発表しており、ニューヨークタイムズはJ.C. Pennyはこの検索結果の著しい偏りにより多くのメリットを得たと見ている。

通常、このような行為をすると、Googleは即時に罰する。例えば、数年前ドイツのBMWが似た手口で検索結果の上位に来るように操作した時、Googleは暫くの間BMW.deを検索結果から外した。ところが今回のJ.C. Pennyのケースについては、ニューヨークタイムズがGoogleに取材したことろ、Googleは過去三回J.C.PennyがGoogleのガイドラインを破ったことを認識しており、最も直近は11月で、その際に違反は修正されていると答えた。しかし、前述の偏った検索結果はホリデーシーズンのまっ最中の12月中続いており、ニューヨークタイムズはBMWとのケースと比較してGoogleの対応が手ぬるいことに違和感を持っていた。そこで新たな事実が明らかになった。J.C. Pennyは月平均約2億円Googleに広告費を支払う最大手顧客の一社だったのだ(他の最大規模顧客にはAT&TやeBayがいる)。そこで当然のことながら、Googleはお得意様のJ.C. Pennyに配慮して、このblack hatによる検索結果の誘導を看過したのではないかと?

Googleは、「検索と広告の壁」という表現を使って、創業以来、広告営業のために検索結果が妥協されたことは一度も無いし、二つのビジネスの間の壁は強固であると、ところどころで批判に対してそう反論している。Googleを批判するのは結構だが、彼らの社会貢献にも目を向けないと片手落ちになる。検索エンジンや、その他の我々一般ユーザーにとって有用なWebツール(gmail,youtube,chrome等々)は基本的に全て無料で提供されている。ほんとうに有り難い話である。もちろん、我々のオンライン挙動というプライバシーを人質にしてのことではあるが。Googleは優秀な技術者を世界中で2万人以上、高給を払って雇用している。従って、どこかでボロ儲けをしないと、こんなビジネスモデルが成り立つ筈がない。素晴らしいことにGoogleは依然毎年二桁成長し、直近年では約8,000億円も利益を上げている。反面、利益の約90%を検索関連広告に依存しており、他のビジネスが成長してくるまでは、この本丸で出来る限り果実を吸い取る必要がある。従って、我々がGoogleの検索結果の批判ばかりをして、Googleから収益機会を奪ってしまうと、彼らの利益が頭打ちするリスクがある。上場会社であり、社員の多くが自社株を保有している実情から、成長の停滞はGoogleとしては絶対に阻止しなければならないことだ。我々一般ユーザーにとっての最悪のシナリオは、検索連動広告が頭打ちになった途端に、Googleが一般ユーザーに課金を始めることだ。そんな世の中になったら、私のような貧者には、ほんとうにつらい現実が待っている。

それでは我々一般ユーザーが貢献できることは何だろう。それはスパムやコンテンツ・ファームという検索結果を偏らせる意図を持ったサイトに行かないこと。もし誤ってそれらのサイトに行ってしまったとしても絶対にそれらのサイト上のリンクをクリックしないことだ。こうすることで、これらのサイトは本来の意図を失い、淘汰される筈だ。Googleだけに、これらのサイトへの対策をさせても、これらのサイトはどんどんと賢くなる、そうイタチごっこだ。大切なことは、これらのサイトの活動資金である広告に我々が反応しないことだ。そうすると、Googleは真にユーザー志向になり、検索と広告の壁を崩すこともないであろう。

広告

Read Full Post »

気になる男

長友佑都のことがやたら気になる。今週早々に現クラブ世界チャンピオンのインテル・ミラノに移籍して、彼がサッカー選手として世界クラスの地位を得たからではない。実は昨年5月24日のワールドカップ壮行試合の日韓戦以来気になっているのだ。この試合は開始早々6分にパク・チスンが日本選手三人が密集してディフェンスしている場所を中央突破して見事なゴールを決め、物の違いを見せつけて始まったのだが、そのパク・チスンとの一対一に長友が競り勝ってボールを奪い、それにプライドが傷ついたと察せられるパク・チスンが猛烈な勢いで長友を追いかけていく局面があった。日本代表にこんなにフィジカルが強い選手がいたことに私は驚き、長友という選手の存在が脳裏に強烈に刻まれた。

私が注目を始めてから、長友は南アフリカのW杯、ドーハーのアジア杯と、同じサイドでマッチアップした相手選手には誰であろうと競り勝ち(少なくとも私にはそう見えた)、攻守両面で日本代表の大躍進に貢献した。彼の大活躍を可能にしたのは、無尽蔵のスタミナ、そして小柄にも拘らず世界でも通用するフィジカルの強さだ。日本で生まれ育った彼がそれらをどうやって身につけたんだろうと、とても不思議に思っていた。ところが幸いなことに日経朝刊(2月4日)でその答をもらった。日経新聞運動部の武智記者がスポーツ面に『太鼓の達人の立身出世』と題して寄せたコラムは、次のように始まった。

”サッカーの日本代表でこのほど、イタリアのインテル・ミラノへ移籍した長友佑都(24)は「太鼓の達人」で知られる。明大入学後は故障がちでレギュラーどころかベンチにも入れず、大勢の補欠部員とスタンドで応援に回り、ドラムをたたいていた。長友が刻むリズムは余りにも力強く歯切れが良かったために、瞬く間に東京・西が丘サッカー場の名物になったという。わびしいスタンドでドラムをドカドカ鳴らしていた少年が今は世界チャンピオンのクラブにいる。「猿」から「太閤」に上り詰めた豊臣秀吉も真っ青の、痛快な立身出世物語ではないか。”

ホホッォーと私は唸った。24歳で日本中のサッカー少年の夢を代べんしてインテル・ミラノの選手になった男が、今からわずか5-6年前の18,9歳の時、大学リーグの試合にも出れず、ガラガラの客席で太鼓を叩いていたとは。武智は長友の並外れた体幹の強さの理由を説明する前に、シンデレラストーリーのような上記のエピソードを引用して我々読者の気持ちを盛り上げてくれたのであるが、彼のコラムの核は、

”前日本代表監督の岡田武史氏は日本選手の球際の強さを上げたいと考えていた。それでワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の出場が決まると、選手に体幹トレーニングを課すようになった。熱心に取り組んだのが長友だった。体幹を強くすることと並行して「骨盤を立てる」ことにも選手にトライさせた。スポーツにおいて腰はすべての運動の中心。その腰をうまく動かせるかどうかは骨盤の使い方と密接につながっているからだった。通常、人間の骨盤は直立状態では前傾しているという。日本人の場合、特にその傾向は強い。それを起こすために体操の世界で「白樺(しらかば)のポーズ」(両かかとをつけたまま、つま先を外に開いて立つ)と呼ばれている姿勢をとらせると、最初からできたのが長友だった。不思議に思った岡田氏は長友から子供のころ、和太鼓を習っていたと聞かされた。旧知の和太鼓奏者に「和太鼓も骨盤を立てないとたたけない。そこが一番鍛えられるところ」と聞かされ得心がいったという。”

で、長友が容易に骨盤を立てられることが、彼が外国人選手と一対一で負けない体幹の強さを持つ大きな理由であることを明らかにしてくれた。

これで俄然、長友の生い立ちに興味を持った私はネットで更に調べてみたところ、

・母子家庭で育った

・小学6年の時、愛媛FCジュニアユースのセレクションに不合格した

・中一の時サッカーが上達せず、ゲームセンターばかりに行き、グレかけた

・サッカーの名門東福岡高校に入学し、二年でレギュラーになったものの、地区選抜にはいれなかったため、大学へのスポーツ推薦が得られなかった(通常の指定校制度で明大に進学)

・大学入学直後、椎間板ヘルニアで試合に出場出来ず、武智記者のコラムにあるようにスタンドで応援する日々が続いた。ストレスでパチンコなどの遊興におぼれた

と、それはサッカーエリートとは対極の歩みで、ギリギリの線でなんとか運命がつながってサッカーを続けられたと述べても過言でない。もし長友が「俺は所詮ここまで」と思って諦めていたら、その時点で彼のサッカー人生は絶たれ、インテルの長友どころか、日本代表のW杯ベスト16やアジア杯優勝も無かったかもしれない。更に今につながる一つの縁が長友にプロへの道を開いた。大学三年に上がる前の3月東京FCとの練習試合に長友は出場し、当時の東京FCのFWリチェーリと互角に渡り合った。そのパフォーマンスが当時の原博実東京FC監督(現日本代表の強化委員長)の目にとまってFC東京への勧誘を受けた。女手一つで三人の子供を育てていた母親を早く楽にさせたいと考えた長友は、大学のサッカー部を退部してプロ選手になることを選んだ。それが2008年のことだ。

それからわずか三年で長友は世界のインテル・ミラノの選手になった。こんな超スピードで階段を駆け上がってしまった長友佑都。運が良かったとか、骨盤が立てられたとか、そんなレベルでは説明がつかないぐらいの快挙だ。彼の肉体の秘密は分かった。しかし、私は彼の精神的強みについて知りたい。どういう思考習慣を身につければ、挫折をもろともせずに、ここまで高いレベルに到達できるのか? もし私がサッカージャーナリストとかスポーツジャーナリストだったら、真っ先に取り組みたい主題である。

Read Full Post »

20日(木)の日経夕刊を読んでいると、カストラートという聞きなれない職業の人達を紹介する記事に出会した。文化面に連載している音楽評論家の林田直樹氏によると、17-18世紀までの約200年間、主としてイタリアで輩出された欧州音楽界で絶大な人気を誇った去勢男性歌手のことだという。引用すると、「少しでも息子に音楽の才能があれば、ひともうけしようという父親の同意のもと(多くの場合家は貧しかった)、幼い少年を去勢し、変声期が来るのを防いで、子供と女性の中間的な声をつくり出すのである」と親のエゴによるかなりひどい話なのである。去勢と聞いて私は「ヌキ」と「宮刑」の二つの事を思い浮かべた。前者のヌキとは高校生時代私が食肉の卸屋さんでアルバイトをしていた時に知った言葉である。冷蔵庫の中にかけてあった沢山の牛枝肉の中に時々マジックでヌキと書かれたものがあった。これを不思議に思って職人さんに質問したら、子供の時に去勢された雄牛のことと教えてくれた。理由は玉を抜いておくと、雄牛であっても女性的肉体に育ち肉が柔らかくなるからとついでに話してくれた。いくら肉を柔らかくするためとはいえ、可哀想だなと同情した。後者の宮刑は高校の歴史の授業である。クラス全員男子だったものだから、中国の史学者司馬遷が出てきたところで、「実は司馬遷は、皇帝を逆鱗させたために宮刑という罰則を受けて去勢されていた。そのため声が女性のように甲高かった。」と含み笑いをしながら歴史の先生は教えてくれた。この時は人間である。どんなに痛かったことだろうと、私は同情よりもむしろ恐怖を感じた。

そして昨日日経の記事により、実は人間に対する去勢は古代中国だけでなく、なんと近代の欧州でさえ行われていたと知り、驚くとともに怒りを感じたのである。ゲイ男性が性転換手術を受けて玉を抜くのはいい、自分の意志だから。しかし、何も判断できない本人が幼いうちに、生活苦だといって男子の本分である玉を除去してしまうとはなんたる暴挙だろうか。カストラート達は、世の男女が恋愛を謳歌す最中、多くが歌手として成功し、中には宮廷で重用された人さえいたとはいえ、恋愛・セックスと無縁で生きなければならなかったのだ。それはとても虚しいことで、時には玉さえあればと父親をひどく恨んだかもしれない。林田氏の連載記事では成功話しかなかったが、きっと精神疾患に陥ったカストラート達は少なくなかったと思う。

現代の日本では、幸いにも我々は去勢されることはない(当たり前か)。男子としてはとても幸せな状態である。にも拘らず全く恋愛していない私のような男は、自ら心の去勢をしたようなものかもしれない。カストラートとか司馬遷、はたまた「ヌキ」雄牛のことを思うと、我々男性はもっと積極的に恋愛をしなければならないのかもしれない。さもなければ、宝(玉)の持ち腐れになっていまう。

Read Full Post »

先週の土曜日(1月8日)米国アリゾナ州のツーソンのスーパーマーケットでの単独犯による無差別銃撃事件(ターゲットは民主党下院議員のGabrielle Gilffordsであったが)、下院議員は重体、9歳の女児を含む6名が死亡した。アメリカのメディアはこぞって『ツーソンの悲劇』として特別番組、特別報道体制を組み、Gilffords議員の病状、6名の死者のプロファイル、そしてアメリカのメディアお得意の悲劇の中で活躍したヒーロー達の話を伝えた。そして1月12日にアリゾナ大学でのオバマ大統領の追悼スピーチは、それはそれは心打たれるものであった。Gilffords議員が数時間前に狙撃後初めて瞳を開いた劇的なニュースを伝え、狙撃犯の過激な思想の影にある極右、超保守層を批判するのではなく、死亡した9歳の少女Christina Greenを引き合いに出し、「心に思い浮かべてください。民主主義というものを知り、市民としての責任ということをやっとで理解し始めた9歳の女の子のことを。我々は彼女が希望していたことに応えたければならない。我々の民主主義は彼女が想像していたぐらい素晴らしいものでなければならない。この国が子供達の希望に応えるために、我々全員がなせることは何でもしなければならない。」という、アメリカの保守からリベラルまで抵抗なく受け入れられるキー・メッセージを、オバマらしい素晴らしい弁舌で伝えた。スピーチの時、オバマ大統領は何人かのヒーロー達(狙撃直後Gilffords議員に覚えたての応急処置をした20歳の議員ボランティアの青年、狙撃犯に飛びかかった老齢の退役軍人)を取り上げ、会場は拍手喝采となった。 狙撃現場やGilffords議員が入院しているアリゾナ大学病院には追悼、回復を願う市民から花束やメッセージが次々よ捧げられている。ツーソンの街中の駐車場や公園に木々に追悼のために手作りの風鈴(wind chimes)を掲げるボランティア達がいる。ニュース番組のあるアンカーに言わされれば、「アメリカは悲しみに打ちひしがれている。」と言う。

しかし、この事件の真因(そして、コロラド州コッロンバンの高校での銃撃、バージニア工科大学での銃撃、等々の)である危険な人物が殺傷力の強い銃を保有することについては、規制を強化する見込みは全く無いという。このブログで翻訳を載せたニューヨークタイムズの記事では、銃保有推進論達は銃保有を保証する合衆国憲法修正第二条を盾に、今回の事件で特に問題になった大容量弾倉への制限に声高に反対を表明している。銃規制の強化を推進する側は、11月の改選で下院が共和党のコントロール下になり、上院でも両党が拮抗したために、腰が引けているようだ。それを見て安心したのか米国最最強のロビー力を誇る全米ライフル協会(NRA)は敢えて沈黙を保っているぐらいだ。

銃撃悲劇が起こるたびに、皆で集まり悲しみ励ましあい、いろいろなボランティア運動を行うのはいい。同様に、どこから探してくるのかヒーローを仕立てて賞賛するのもいい。それはアメリカ文化の一つなのだから。しかし、肝心の銃規制に背をむけ続けているようでは、このような悲劇は必ず繰り返されるはずだ。第三者の目から見れば明白である。それが憲法で保証されているとか、銃所有はアメリカの文化(確かに田舎にいけば警察官が少ないので自衛が必要だが)とか言って。何もしないアメリカ人。これ(銃撃事件で毎回奪われる多くの命)は、アメリカ文化を維持するための社会コストなのだろうか。連日TVで報道されるツーソンの悲劇で悲しむアメリカ人、ボランティアのアメリカ人、ヒーロー達を見るにつけ、むしろ空々しく感じるのは私だけであろうか。

Read Full Post »

1月7日から中東カタールのドーハーで始まったサッカーのアジア杯、楽しい。TVを保有していない私がこの大会をリアルタイムで楽しむ方法は、ツイッターの#daihyoタグに現れている怒涛の書き込みと、ハッキングサイトからのストリーム中継である。後者に関しては日本語の放送は一つもなく、試合によって、英語だったり、韓国語だったり、あそらくアラビックであったりと解説内容は理解が出来ない。更に所詮一般ユーザーがケーブルTVからハッキングしているようなので、映像・音声ともに途切れ途切れで不安定である。従って、試合の手がかりは#daihyoタグに現れる一般ユーザーの書き込みなのである。意外にもこれが分かりやすい。感情的なものがもちろん多いが、的確に試合の流れを伝えてくれる書き込みも多いのだ。ツイッターの140字の制限の中、しかも#daihyoに前後のスペースを含め9文字を取られながら、的確に記述できるのは大したものである(但し、筆者は英語のツイッターをよく見ているが、同じ文字数制限下では日本語の方が圧倒的に多くの情報量を英語に比べて伝えられる)。#daihyoタグの書き込みで、もう一点強く感じるのは書き込んでいる人達の成熟度である。Yahoo!のサッカー日本代表の掲示板等で見られるヒステリックに、監督、選手、監督を糾弾したり、「チョン」「在日帰れ」等の在日韓国朝鮮人に向けての吐き気をもよおすような汚く根拠のない人権侵害的書き込みもない。素直に、高い視点にたってアジア杯アッカーを楽しんでいる人達が多いのだ。例えば、先日の日本代表対シリア代表戦での川島の退場・PKの微妙な判定に関しての反応は、従来のようなヒステリックに誤審を激しく糾弾するよりも、むしろ「これがアジア。何があるか分からない」とか「ようやくアジア杯らしくなってきた」というよなポジティブにアジア杯を楽しもうという雰囲気が強かった。他国戦についても関心が高く、豪州、韓国代表の動向を伝えたり、日本との長年非常に緊張関係にある北朝鮮代表の選手(もちろんJリーグに縁がある在日選手である)に対する応援の書き込みもある。このような#daihyoタグに現れるファンの反応にはアジアのサッカーの特質を良く理解した成熟したファンの姿が見える。思い返せば、昨冬のバンクーバー五輪の女子フィギュア、あの時キム・ヨナを少しでも褒める書き込みがあると、一部の(一部であると信じたいが)狂信的な浅田真央ネットファン達による徹底的な攻撃があり、悍ましいものであった。私はキム・ヨナと浅田真央による戦いは近年稀に見る好勝負であり、あの二日間、二人だけに現れたオーラというか、会場全体の緊張感はTV画面越しにでも感じられた。勝敗を分けたのは、多くの狂信的なネット上の浅田真央ファンが指摘するような審判の買収とかそんなものではなく、二人の精神力の差だったと私は強く思っている。神の配剤だろうか、二人は全く同じ条件を与えられた。ライバルがほぼ完璧な演技をした後に滑らなければならなかったのだ。キム・ヨナはそのプレッシャーに見事に打ち勝ち完璧な演技でSPを終え、浅田真央はプレッシャーに完全に負け見る方が痛々しく感じるくらいボロボロな演技でフリーを終えた。そう、勝敗は明白だったのだ。畑違いだけど、サッカーJ1ガンバ大阪の西野監督も、「プロとしてキム・ヨナの精神力を見習いたい。」と遠征移動中に述べたという。同様な理由でキム・ヨナを賞賛した元一流のアスリートや国会議員のブログが、狂信的なネット上の浅田真央ファンによる攻撃で炎上した。これらを報道等で知った時、私の背筋は凍りついた。いやはや、この国には言論の自由はないのかと。もちろん、プロスポーツファンであれば、贔屓のチーム、選手はある。しかし、卓越したスキルや優れた戦術に対しては贔屓を超えて堪能し、賞賛したいものだ。それが成熟したファンの姿ではないだろうか。

そういった意味で、#daihyoタグにアジア杯についてしばしば書きこんでくれるサッカー・ファン達に対して私は成熟度を感じ、さらに日本人も捨てた者じゃないなと思うのである。

Read Full Post »