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Archive for the ‘米国’ Category

先週の土曜日(1月8日)米国アリゾナ州のツーソンのスーパーマーケットでの単独犯による無差別銃撃事件(ターゲットは民主党下院議員のGabrielle Gilffordsであったが)、下院議員は重体、9歳の女児を含む6名が死亡した。アメリカのメディアはこぞって『ツーソンの悲劇』として特別番組、特別報道体制を組み、Gilffords議員の病状、6名の死者のプロファイル、そしてアメリカのメディアお得意の悲劇の中で活躍したヒーロー達の話を伝えた。そして1月12日にアリゾナ大学でのオバマ大統領の追悼スピーチは、それはそれは心打たれるものであった。Gilffords議員が数時間前に狙撃後初めて瞳を開いた劇的なニュースを伝え、狙撃犯の過激な思想の影にある極右、超保守層を批判するのではなく、死亡した9歳の少女Christina Greenを引き合いに出し、「心に思い浮かべてください。民主主義というものを知り、市民としての責任ということをやっとで理解し始めた9歳の女の子のことを。我々は彼女が希望していたことに応えたければならない。我々の民主主義は彼女が想像していたぐらい素晴らしいものでなければならない。この国が子供達の希望に応えるために、我々全員がなせることは何でもしなければならない。」という、アメリカの保守からリベラルまで抵抗なく受け入れられるキー・メッセージを、オバマらしい素晴らしい弁舌で伝えた。スピーチの時、オバマ大統領は何人かのヒーロー達(狙撃直後Gilffords議員に覚えたての応急処置をした20歳の議員ボランティアの青年、狙撃犯に飛びかかった老齢の退役軍人)を取り上げ、会場は拍手喝采となった。 狙撃現場やGilffords議員が入院しているアリゾナ大学病院には追悼、回復を願う市民から花束やメッセージが次々よ捧げられている。ツーソンの街中の駐車場や公園に木々に追悼のために手作りの風鈴(wind chimes)を掲げるボランティア達がいる。ニュース番組のあるアンカーに言わされれば、「アメリカは悲しみに打ちひしがれている。」と言う。

しかし、この事件の真因(そして、コロラド州コッロンバンの高校での銃撃、バージニア工科大学での銃撃、等々の)である危険な人物が殺傷力の強い銃を保有することについては、規制を強化する見込みは全く無いという。このブログで翻訳を載せたニューヨークタイムズの記事では、銃保有推進論達は銃保有を保証する合衆国憲法修正第二条を盾に、今回の事件で特に問題になった大容量弾倉への制限に声高に反対を表明している。銃規制の強化を推進する側は、11月の改選で下院が共和党のコントロール下になり、上院でも両党が拮抗したために、腰が引けているようだ。それを見て安心したのか米国最最強のロビー力を誇る全米ライフル協会(NRA)は敢えて沈黙を保っているぐらいだ。

銃撃悲劇が起こるたびに、皆で集まり悲しみ励ましあい、いろいろなボランティア運動を行うのはいい。同様に、どこから探してくるのかヒーローを仕立てて賞賛するのもいい。それはアメリカ文化の一つなのだから。しかし、肝心の銃規制に背をむけ続けているようでは、このような悲劇は必ず繰り返されるはずだ。第三者の目から見れば明白である。それが憲法で保証されているとか、銃所有はアメリカの文化(確かに田舎にいけば警察官が少ないので自衛が必要だが)とか言って。何もしないアメリカ人。これ(銃撃事件で毎回奪われる多くの命)は、アメリカ文化を維持するための社会コストなのだろうか。連日TVで報道されるツーソンの悲劇で悲しむアメリカ人、ボランティアのアメリカ人、ヒーロー達を見るにつけ、むしろ空々しく感じるのは私だけであろうか。

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