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Posts Tagged ‘司馬遷’

20日(木)の日経夕刊を読んでいると、カストラートという聞きなれない職業の人達を紹介する記事に出会した。文化面に連載している音楽評論家の林田直樹氏によると、17-18世紀までの約200年間、主としてイタリアで輩出された欧州音楽界で絶大な人気を誇った去勢男性歌手のことだという。引用すると、「少しでも息子に音楽の才能があれば、ひともうけしようという父親の同意のもと(多くの場合家は貧しかった)、幼い少年を去勢し、変声期が来るのを防いで、子供と女性の中間的な声をつくり出すのである」と親のエゴによるかなりひどい話なのである。去勢と聞いて私は「ヌキ」と「宮刑」の二つの事を思い浮かべた。前者のヌキとは高校生時代私が食肉の卸屋さんでアルバイトをしていた時に知った言葉である。冷蔵庫の中にかけてあった沢山の牛枝肉の中に時々マジックでヌキと書かれたものがあった。これを不思議に思って職人さんに質問したら、子供の時に去勢された雄牛のことと教えてくれた。理由は玉を抜いておくと、雄牛であっても女性的肉体に育ち肉が柔らかくなるからとついでに話してくれた。いくら肉を柔らかくするためとはいえ、可哀想だなと同情した。後者の宮刑は高校の歴史の授業である。クラス全員男子だったものだから、中国の史学者司馬遷が出てきたところで、「実は司馬遷は、皇帝を逆鱗させたために宮刑という罰則を受けて去勢されていた。そのため声が女性のように甲高かった。」と含み笑いをしながら歴史の先生は教えてくれた。この時は人間である。どんなに痛かったことだろうと、私は同情よりもむしろ恐怖を感じた。

そして昨日日経の記事により、実は人間に対する去勢は古代中国だけでなく、なんと近代の欧州でさえ行われていたと知り、驚くとともに怒りを感じたのである。ゲイ男性が性転換手術を受けて玉を抜くのはいい、自分の意志だから。しかし、何も判断できない本人が幼いうちに、生活苦だといって男子の本分である玉を除去してしまうとはなんたる暴挙だろうか。カストラート達は、世の男女が恋愛を謳歌す最中、多くが歌手として成功し、中には宮廷で重用された人さえいたとはいえ、恋愛・セックスと無縁で生きなければならなかったのだ。それはとても虚しいことで、時には玉さえあればと父親をひどく恨んだかもしれない。林田氏の連載記事では成功話しかなかったが、きっと精神疾患に陥ったカストラート達は少なくなかったと思う。

現代の日本では、幸いにも我々は去勢されることはない(当たり前か)。男子としてはとても幸せな状態である。にも拘らず全く恋愛していない私のような男は、自ら心の去勢をしたようなものかもしれない。カストラートとか司馬遷、はたまた「ヌキ」雄牛のことを思うと、我々男性はもっと積極的に恋愛をしなければならないのかもしれない。さもなければ、宝(玉)の持ち腐れになっていまう。

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