Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘林芙美子’

この作品は本当に林芙美子が書き残した手記そのものと思わせる程、リアリティがあるフィクションである。林芙美子の夫 林緑敏の後添に入った芙美子の姪でもある林房江が知り合いの編集者と取り交わした往復書簡で始まる。彼女は夫が燃やせといった遺品の絵の中から林芙美子が書き残した手記を発見し、これを公表すべきかどうかを書簡にて編集者に相談しているのである。そのプロローグの後、芙美子の手記が始まる。『放浪記』を読んだことがある人だったら、誰しも感じる筈だが、まるで林芙美子の本物の手記を読んでいると思われるぐらい文体が林芙美子のそれに良く似ていた。一瞬、これはノンフィクションなのかと疑ってみたが、ネット上で、この作品の情報を調べた限り、やはり、この作品は桐野夏生の完全なフィクションであるようだ。

手記は主として七歳年下の妻子ある毎日新聞記者斉藤謙太郎(桐野による創作)とのW不倫関係の告白である。しかし、この作品の価値は、当時の林芙美子の文壇での立場、有名な作家達との人間関係の記述、そして彼女が昭和18年末に他の女流作家達とともに陸軍省の招聘でいわゆる南方従軍としてシンガポール、ボルネオ、ジャワ、スマトラ等の前線を訪問した記録にある。桐野夏生が史実とフィクションをどこまで混在させたのか検証できないが、特に後者については、戦中の戦意高揚のための軍部、新聞社、作家の役割分担がよく理解できたし、当時日本に占領されていた南方諸国の様子がよく分かった。残念だったのが、肝心要の林芙美子と斎藤謙太郎との恋愛関係の部分であった。肉体だけが結びつけるとても安っぽい不倫関係として描かれていた。とにかく桐野夏生が描いた女性としての林芙美子は、単なる淫乱女であり、斉藤謙太郎には二回目の対面で犯され、そのまま彼にのめりこんでしまったし、日本からシンガポールへの移動する長い船旅では、商船会社の男と連日船の中でSEXをする。

更に桐野夏生のことを許せないのはストーリーの締めくくりである。林芙美子は斉藤謙太郎の子を身篭り、夫に内緒で知り合いの婦人科医で出産し、貰い子だと偽って自宅に赤子を連れ帰り、躊躇する夫を言いくるめて、養子として育てたことになっている。いくらフィクションとはいえ、ここまで事実を歪めてしまっていいのか。林芙美子が当時常人をはるかに越えたスケールを持った女性だったといえ、ここまで話を仕立ててしまったことには甚だ呆れかえってしまった。

今回、桐野夏生の小説を初めて読んだ。素晴らしい筆力を持った作家であることは否定できない。しかし、昭和初期を代表する大女流作家の林芙美子をここまで冒涜してほしくなかった。せっかく名作の範疇に入るポテンシャルがあったのに残念である。

ナニカアル
ナニカアル

Read Full Post »

青空文庫という著作権切れの古典を無料で読めるサイトがある。iPhoneアプリもあるので、これをダウンロードして、この齢まで読み忘れていた、明治、大正、昭和初期の文豪の作品を読むことに決めた。この文庫の有り難さは、名作を無料でスマートフォンにダウンロードして好きな時に読めることはもちろんだが、画面がヒューマン・フレンドリーで凄く読みやすいことだ。縦書きで1ページ当たり10行で行当たりの文字数も22字程度で目が疲れない。更に、バックグランドの隅々に適度に薄茶色の滲みが浮き出させており、まるで子供の時に図書館で読んだ古い文庫本そのものを読んでいるように錯覚させられる。

前置きが長くなったが、この青空文庫のお陰で、近頃、昭和初期の大ベストセラー林芙美子の『放浪記』を生まれて初めて読んだ。数ページ開けただけで彼女の世界にすっぽりとハマってしまった。子供の時から行商の両親の手伝いをして流転の人生、女学校を出て上京してからも職と男を転々として苦労が続いている林美沙子。日々の惨めな出来事を日記に描写しているのだけど、読んでいて苦しくなるというよりは、「よくぞ言ってくれました」と溜飲を下げたくなったり、「苦しいのは私だけでなく、あなたも大変だね」と同士を見つけた気分にさせられた。この小説が刊行された時は、昭和大恐慌から数年後のことで、不景気で日本国民の多くが食うや食わずの苦労をしていた時期、苦労話を語る彼女独自のビートがちょうど時代の空気にマッチして、多くの人々の支持を受けたのだと思う。

興味深いことに、『放浪記』の印税で大金を得た林芙美子は、28歳の時、朝鮮、ロシア経由でパリに一人旅をし、ロンドンまで足を伸ばした。日経ビジネスにかつて掲載された「特集・自分を生きた女たち~林芙美子」によると、少女時代に両親の行商に伴って見知らぬ土地をさんざん彷徨した林芙美子は見知らぬ街で生き残る術を心得ており、パリでは市場で人気者になったり、ロンドンではわざわざ職業斡旋所を覗きにいったようだ。

* 上記写真はいずれも新宿歴史博物館提供(左上が出発前、右上がパリの下宿屋、左下がパリの古書店での林芙美子)

木賃宿を定宿とする行商人の娘がベストセラーで一発当てただけでなく、20代後半の若さで、満州事変まもなく政情不安な朝鮮、ロシアを経由して、対東洋人だけでなく対女性差別もあった欧州に一人で出かける。大正末期に米ニュージャージー州の高校に留学した白洲正子さんのような超お嬢様とは違って、完全に独力によったのだ。その大胆さというか、上昇志向は凄いものだ。旅と文学が好きな私にとって、作家林芙美子はとても興味深い対象となった。そのタイミングではかったように、桐野夏生という作家が林芙美子の人生に鋭く切り込んだ『ナニカアル』という作品を書いていることを知り、鎌倉図書館で予約を入れて待つこと三週間、ついに本を入手して読んだ。
林芙美子 巴里の恋―巴里の小遣ひ帳、一九三二年の日記、夫への手紙 (中公文庫)
林芙美子 巴里の恋―巴里の小遣ひ帳、一九三二年の日記、夫への手紙 (中公文庫)
林芙美子―女のひとり旅 (とんぼの本)
林芙美子―女のひとり旅 (とんぼの本)

Read Full Post »