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Posts Tagged ‘長友佑都’

気になる男

長友佑都のことがやたら気になる。今週早々に現クラブ世界チャンピオンのインテル・ミラノに移籍して、彼がサッカー選手として世界クラスの地位を得たからではない。実は昨年5月24日のワールドカップ壮行試合の日韓戦以来気になっているのだ。この試合は開始早々6分にパク・チスンが日本選手三人が密集してディフェンスしている場所を中央突破して見事なゴールを決め、物の違いを見せつけて始まったのだが、そのパク・チスンとの一対一に長友が競り勝ってボールを奪い、それにプライドが傷ついたと察せられるパク・チスンが猛烈な勢いで長友を追いかけていく局面があった。日本代表にこんなにフィジカルが強い選手がいたことに私は驚き、長友という選手の存在が脳裏に強烈に刻まれた。

私が注目を始めてから、長友は南アフリカのW杯、ドーハーのアジア杯と、同じサイドでマッチアップした相手選手には誰であろうと競り勝ち(少なくとも私にはそう見えた)、攻守両面で日本代表の大躍進に貢献した。彼の大活躍を可能にしたのは、無尽蔵のスタミナ、そして小柄にも拘らず世界でも通用するフィジカルの強さだ。日本で生まれ育った彼がそれらをどうやって身につけたんだろうと、とても不思議に思っていた。ところが幸いなことに日経朝刊(2月4日)でその答をもらった。日経新聞運動部の武智記者がスポーツ面に『太鼓の達人の立身出世』と題して寄せたコラムは、次のように始まった。

”サッカーの日本代表でこのほど、イタリアのインテル・ミラノへ移籍した長友佑都(24)は「太鼓の達人」で知られる。明大入学後は故障がちでレギュラーどころかベンチにも入れず、大勢の補欠部員とスタンドで応援に回り、ドラムをたたいていた。長友が刻むリズムは余りにも力強く歯切れが良かったために、瞬く間に東京・西が丘サッカー場の名物になったという。わびしいスタンドでドラムをドカドカ鳴らしていた少年が今は世界チャンピオンのクラブにいる。「猿」から「太閤」に上り詰めた豊臣秀吉も真っ青の、痛快な立身出世物語ではないか。”

ホホッォーと私は唸った。24歳で日本中のサッカー少年の夢を代べんしてインテル・ミラノの選手になった男が、今からわずか5-6年前の18,9歳の時、大学リーグの試合にも出れず、ガラガラの客席で太鼓を叩いていたとは。武智は長友の並外れた体幹の強さの理由を説明する前に、シンデレラストーリーのような上記のエピソードを引用して我々読者の気持ちを盛り上げてくれたのであるが、彼のコラムの核は、

”前日本代表監督の岡田武史氏は日本選手の球際の強さを上げたいと考えていた。それでワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の出場が決まると、選手に体幹トレーニングを課すようになった。熱心に取り組んだのが長友だった。体幹を強くすることと並行して「骨盤を立てる」ことにも選手にトライさせた。スポーツにおいて腰はすべての運動の中心。その腰をうまく動かせるかどうかは骨盤の使い方と密接につながっているからだった。通常、人間の骨盤は直立状態では前傾しているという。日本人の場合、特にその傾向は強い。それを起こすために体操の世界で「白樺(しらかば)のポーズ」(両かかとをつけたまま、つま先を外に開いて立つ)と呼ばれている姿勢をとらせると、最初からできたのが長友だった。不思議に思った岡田氏は長友から子供のころ、和太鼓を習っていたと聞かされた。旧知の和太鼓奏者に「和太鼓も骨盤を立てないとたたけない。そこが一番鍛えられるところ」と聞かされ得心がいったという。”

で、長友が容易に骨盤を立てられることが、彼が外国人選手と一対一で負けない体幹の強さを持つ大きな理由であることを明らかにしてくれた。

これで俄然、長友の生い立ちに興味を持った私はネットで更に調べてみたところ、

・母子家庭で育った

・小学6年の時、愛媛FCジュニアユースのセレクションに不合格した

・中一の時サッカーが上達せず、ゲームセンターばかりに行き、グレかけた

・サッカーの名門東福岡高校に入学し、二年でレギュラーになったものの、地区選抜にはいれなかったため、大学へのスポーツ推薦が得られなかった(通常の指定校制度で明大に進学)

・大学入学直後、椎間板ヘルニアで試合に出場出来ず、武智記者のコラムにあるようにスタンドで応援する日々が続いた。ストレスでパチンコなどの遊興におぼれた

と、それはサッカーエリートとは対極の歩みで、ギリギリの線でなんとか運命がつながってサッカーを続けられたと述べても過言でない。もし長友が「俺は所詮ここまで」と思って諦めていたら、その時点で彼のサッカー人生は絶たれ、インテルの長友どころか、日本代表のW杯ベスト16やアジア杯優勝も無かったかもしれない。更に今につながる一つの縁が長友にプロへの道を開いた。大学三年に上がる前の3月東京FCとの練習試合に長友は出場し、当時の東京FCのFWリチェーリと互角に渡り合った。そのパフォーマンスが当時の原博実東京FC監督(現日本代表の強化委員長)の目にとまってFC東京への勧誘を受けた。女手一つで三人の子供を育てていた母親を早く楽にさせたいと考えた長友は、大学のサッカー部を退部してプロ選手になることを選んだ。それが2008年のことだ。

それからわずか三年で長友は世界のインテル・ミラノの選手になった。こんな超スピードで階段を駆け上がってしまった長友佑都。運が良かったとか、骨盤が立てられたとか、そんなレベルでは説明がつかないぐらいの快挙だ。彼の肉体の秘密は分かった。しかし、私は彼の精神的強みについて知りたい。どういう思考習慣を身につければ、挫折をもろともせずに、ここまで高いレベルに到達できるのか? もし私がサッカージャーナリストとかスポーツジャーナリストだったら、真っ先に取り組みたい主題である。

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